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【歩き方Vol.221】「競馬の本質」が分かれば「お金の本質」も見えてくるの巻

この記事を書いた人

天才・逸材・変態が集う、競馬メディア『競馬のカリスマ』の敏腕編集長・近藤克治。関係者の間では“コンカツ”の名で親しまれている。

どうも、カリスマ編集長の近藤です!

いやはや参りました(汗)

昨夜中田君が担当した「カリスマの歩き方」を見た方なら分かると思いますが、オークス・日本ダービーが控えるこのタイミングだからこそ、各ビッグレースの優勝経験を持つ藤田さん、白井先生の“金言”も価値が倍増すると考え、歩き方にて取り上げさせていただきましたが、その直後に我々編集部全員が度肝を抜く「文章」が寄稿されることになるとは・・・。

熟練カリスマーの方なら改めるまでもないでしょう。

そうです、小鳥の7号さん執筆による「ギャンブル依存症」をテーマとした【論文】です。

※論文(ろんぶん、英: paper)とは、学問の研究成果などのあるテーマについて論理的な手法で書き記した文章。漢文中の語句としては“文ヲ論ズ”=“文学について論ずる”の意味でも使われた。また、特定の研究成果についての記述ではなく、あるテーマについて論述する論文の一つの形式として小論文がある。
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最後の最後まで読んだよ!という方も多々いらっしゃると思いますが、改めてその内容に言及しますと、事の発端はNHKの「おはよう日本」で放映された「競馬場でピクニック」という特集番組。

その番組内で流れた「子供に予想させる」「子供にJRAの職員が馬の見方を教える」という部分に、ある記者がSNS上で警鐘を鳴らしたところ、

その投稿を目にした一部の競馬ファンから

「お前は競馬のことを何もわかってない!」
「私は子供の頃に競馬場に連れて行ってもらったが、ギャンブル依存症ではありません。」

などなど「感情的」なやり取りが横行し、そもそもの「論点」がブレブレの中、軽い炎上のような現象に発展していたわけです。

その投稿をたまたま目にしたであろう7号さんからすれば、どちらが正しいとかの話をする以上に、まず「論点」を明確にしたほうがいいんじゃない?

って話にまぁなります。だって7号さんだもん。

その経緯をツイッターで、チラチラ観察していたので、ロジカルな文章が届くのは百も承知だったわけですが、そこに描かれている内容が自伝みたいな深いい話になっているじゃありませんか!

カリスマー(カリスマ読者の愛称)の平均年齢って感覚でいうと40歳前後くらいだと思いますが、もし20代、30代の方がいるなら、ここは絶対に目を通しておくべきです(マジで)!

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俺の「労働の定義」を書いておく。
青臭いし、理想論だと言う事も分かっているし、「誰もがそうはできないんです・・・」という意見が出る事も承知で、自分が少数派である事も理解した上で書くが、「労働=誰かを喜ばせる事」であり、その結果報酬を得られるものであると理解している。

つまりは、「金」のためではなく「人を喜ばせる」という原理原則を基に働かないと、モチベーションは簡単に崩壊する。口では金が欲しいから働く!と言っている若者の中でも、本質が分かっている人は、上司だけを見るのではなく、しっかり客を見ているし、世の中に「こういったものが必要でしょ」という、「誰かを喜ばせる事」が自然と目的になっている。

(中略)

俺は、馬券を外しても「一切謝るつもりがない」と今までも明言してきたが、外れて競馬がつまらなくなったり、人を憎たらしく思うようなタイプの人は少し危険だからね。「コイツ予想外れたのに謝りもしねーよ。もう馬券なんてヤメた!」と思わせた方がいい。つまり、俺が謝らないのは、馬券で負けて身を滅ぼす人を作りたくないという理由もある。

また、「金払ってんだから俺が客!お前はいうこと聞け!」とか、「俺が今までいくら使ったと思ってんだ!」という態度で飲んでるヤツとか、「お客様は神様です」を逆手にとって横暴な振る舞いをするヤツが「嫌い」なわけ。

滅多に嫌いとか言わない俺でも、嫌いな事があるわけ。

特に競馬のコンテンツの価値=「馬券の当たり外れ」だけ、となると、まるで不良品でも売ったかのような扱いされるからね。前提どこ行った?って話は、先週の無料イベントのコーナーで長々と書かせてもらったが、馬券外れた事をネチネチ指摘してくるヤツって、俺の感性とは全く合わないばかりか、やはり依存症になりやすい可能性があるんだわ。

俺は、馬券じゃなくて競馬を楽しんでるの!

「え?当たって外れて一喜一憂してるんだから、馬券を楽しんでるんじゃないの?」と思ってる人がもし多いなら、コラム書くのやめるわ。ブログ時代から5年以上書いて来て、そんなアホしか、寄ってこないのなら意味ねーしな。

まぁ、そんな人がカリスマの読者にはほぼいない事は先週も書いたけど、初めて読みに来た時に「なんじゃコイツムカつく!」と、直ぐに感じてもらえるようには、書いてる訳。

読者さんに無駄な時間使わせたくないからね。
読者さんを依存症にさせるわけにはいかないからね。

一応、俺流の思いやりね。
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前段部分の労働の定義(労働=誰かを喜ばせる事)、「金」のためではなく「人を喜ばせる」という原理原則に基づき働くことの意味について語られています。

これ見る人から見れば、ギャンブル依存症と一見関係ない話にみえるかもしれませんが、めちゃくちゃ関係あると私は思うんですね。

というのも、物事の原理原則を理解していないと、本来お金を使う側の人間が、そのお金によって支配される事になりかねないというケーススタディを何度も目にしてきたからです。

例のラグビーのニュースもそうです。

彼は殺人タックルを行うためにラグビー選手になったのでしょうか?

そんなはずはありませんよね。

もし仮にそうした指示を監督等責任ある立場の人間が行っていたとしても、なぜ自分はラグビー選手になり、どういうプレイスタイルで観客を喜ばせたいのか、この辺りの考えが明確であれば、あの事件は防げていたかもしれません。

ただし「相手チームに勝つ」ということだけが目的になってしまうと・・・という話です。

ですから、誰の役に立ちたいのか、その人たちは何に困っているのか、その解決の為に自分は何ができるだろうか、そして、それは自分の得意分野にあたるのか、もしくは周囲に得意な人がいるかどうか、社会的に意義のあることなのか、人を幸せにできるのか、こんな事を大好きなハイボールを飲みながら、毎晩とはいいませんが、想像を含らませ、それが結果的に明日への「原動力」になっています(あくまで私の場合)。

と、ここまでオークスのオの字も出てきていませんが、そこは「精鋭カリスマ6」のメンバー陣にバトンタッチすべき領域だと身の丈をわきまえておりますので、7号さんの【論文】とともに、贅沢な競馬の時間をこのあと堪能いただければ幸いです。

最後に、今日もカリスマメンバー陣、派手に的中馬券ビシバシ当ててましたが、それがカリスマ6だと思っていますので、はしゃぐこともなく、心清らかな気持ちで明日のオークスに臨みたいと思います。

くれぐれも深酒して、明日のオークス馬券買い損ねた~なんてことがないようご注意ください!

それでは、また明日!

カリスマ編集長・コンカツ

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