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存在意義

【白井寿昭】内なる自分との戦い=メイショウボーラー

この記事を書いた人

広島県出身。厩務員、調教助手を経て1978年に調教師免許を取得した。相馬眼で『白井最強伝説』として広く親しまれている。通算795勝(中央775勝、地方・海外20勝、重賞42勝)

[第1章]ボーラーとの出会い

メイショウボーラーは、常に内なる自分と戦っていた。

ダートのフェブラリーSをレコードで制し、芝のGIでも2度の2着。
底知れぬスピードで見るものを魅了したかと思えば、「競走をやめてしまった」香港スプリントに代表されるように、我の強さが悪い方向に作用してしまう出来事もあった。

我の強さが良い方向にハマれば、そうそう負ける馬ではない。
そうなるために、調教師として何をすべきだろうか――

今回は、この個性的な名馬を振り返ってみたいと思う。

 

・ボーラーとの出会い

キーンランドの競りで、日の出牧場さんがストームキャットの繁殖馬を購入した。
現場で見ていた私は、その繁殖馬に興味を持っていた。

「どんな仔ができるか、ちょっと見に行ってみるか」

世界が認める偉大な種牡馬。
その肌馬はそう簡単に手に入るものじゃない。
アルゼンチンの名血ナイストラディション(Nice Tradition、亜GIクリアドレス大賞勝ち)に行き着く、
ナイスレイズの一本筋が通った血統背景も魅力だった。

余談だが、牧場でナイスレイズの仔をはじめて見たのは1番仔のニンナナンナ(中央3勝)。
この馬を預かる可能性があったんだけど、先客がいた関係でキャンセルになってしまった。
そのとき、次の仔は私が必ず見にくるからと言い、翌年すぐ見に行った馬がナイスレイズの2001。
タイキシャトルを父に持つ、のちのボーラーだ。
そんな経緯があって、ボーラーを見る機会に巡り合ったんだ。

「血統の裏付けは十分。あとは気性面が走る方向に向いてくれれば……」

以前、私はアメリカから買ってきたストームキャットの仔(ダストワール)を管理したことがあった。
最終的に5勝を挙げたとはいえ、日本におけるストームキャット産駒が期待通りの活躍を見せたとは言い難い。
豊富なスピードを持つ反面、気性面でうるさいところが出やすい血統。

初めて出会ったときのボーラーもまた、やんちゃな馬だった。
しかし、私は競走馬としての魅力をボーラーから感じ取っていた。

キリッとした顔立ちに、素軽い脚捌き。
ストームキャットに似た、黒鹿毛の馬体。

「これは早いうちに活躍できそうな馬だな」

ボーラーの佇まいから、そのような印象を受けたことを覚えている。

さて、“メイショウ”の冠名でお分かりいただけるかと思うが、この馬のオーナーは松本好雄氏だ。

日本ダービー、春秋天皇賞制覇など輝かしい成績を残したメイショウサムソンや、生涯のライバル・テイエムオペラオーと幾多の名勝負を繰り広げたメイショウドトウ。
とてもここでは挙げ切れないほどの活躍馬を抱えていた松本オーナーだが、開業して以降まったくと言っていいほど接点がなかった。

そんな折、伊藤雄二さん(エアグルーヴ、ウイニングチケットなどを管理)から「メイショウさん」を紹介してもらうことになった。

松本オーナーは普段、中小牧場の関係者から「メイショウさん」と親しみを込めて呼ばれている。
すごく浦河の地域を愛していると同時に、皆から愛されている人物だ。
馬に関しても調教師に細かい口出しをすることはほとんどなく、プロとしての仕事を尊重してくださる器の大きい方だ。

「こんな機会はそうそうない。この方の馬で良い結果を出さなくては……」

馬主界における大御所中の大御所だけに、身が引き締まる思いだった。

実はボーラーを預かる前、メイショウセブンという馬を管理していた。
ところがデビューが3歳5月と遅れてしまってね。
セブンは3歳9月に勝ち上がり、最終的に5勝をマークしたんだけど、松本オーナーに早く結果を出さなくてはと思い、ボーラーを早めに入厩させた経緯があった。
もちろん、プレッシャーも感じていた。

だから、ボーラーが勝ち上がったときは本当に嬉しかったよ。
あれだけの方に対して、存在感をアピールできたわけだからね。

 

[第2章]無傷の4連勝で臨んだ朝日杯FS そこで生じた誤算

・調教師に求められる“采配力”

ボーラーはとにかく“やんちゃな馬”だった。
人によってはこの性格を欠点と受け取るかもしれないが、私は決して“やんちゃ”を悪い意味として捉えてはいない。

激しい気性と競走馬にとって重要な闘争心は紙一重だ。
人間の言うことを聞かせるため、馬を叱る方法もあったとは思うが、私はボーラーの機嫌を決して損ねないようになだめ、レースで天性のスピード能力を最大限生かす術を考えた。

そこで私は、ボーラーの担当厩務員を大森一(おおもり はじめ)さんに任せることにした。
厩務員にもさまざまなタイプがいるが、大森さんは馬に対しておおらかに接する人。
日々のケアをしっかり行いつつ、決してボーラーにプレッシャーを与えるようなことはしなかった。
大森さんなくしてボーラーの活躍はなかっただろう。

馬の性格と人との相性を見抜き、担当する厩務員を決める。
厩舎のトップに立つ調教師にはこうした“采配力”も必要なんだ。

 

・「勝つやろうな」自信を持って送り出したデビュー戦

ボーラーの初陣は7月の小倉芝1000m戦。
稽古の動きも上々で、単勝1.4倍の断然人気に推されていた。
正直なところ、私自身も「勝つやろうな」と確信にも似た自信があった。

そんな心境で迎えた新馬戦。
スピードの違いでハナに立つと、まったく危なげなく逃げ切り勝ち。
もちろん自信はあったけど、“メイショウさん”の馬での初勝利だったから、ホッとした気持ちも強かったかな。

競走馬としての第一歩を踏み出したボーラーは、フェニックス賞、小倉2歳S、デイリー杯2歳Sと連勝街道を突き進んだ。
2戦目のフェニックス賞は控える競馬になったけど、私はボーラーを一介のスピード馬ではないと見ていた。
実際、距離が1600mに延びたデイリー杯2歳Sも難なく逃げ切ったし、福永くんも「今までで一番楽でした」と言っていたほどだったからね。

ここで福永くんに騎乗依頼した経緯を説明しよう。

一口に騎手と言っても、そのキャラクターは十人十色。
ボーラーのような気性の持ち主を怖がる騎手もいれば、まったく怖がることなく、言ってみれば“やんちゃに”接するタイプもいる。
私は後者のタイプはボーラーには合わないと考えていた。

福永くんは、そのどちらにも当てはまらない騎手。
北橋修二先生、瀬戸口勉先生といった良い先生の下で鍛えられていたし、彼ならボーラーの特性を理解してくれるだろうという意図もあった。

「この馬にはどんな騎手が合うか」という部分においても、調教師としての采配力が重要になるんだ。

 

・鞍上がユーイチだったら……

無傷の4連勝という実績を引っさげ、いよいよボーラーはGIの舞台へ。
1600mの重賞を勝っているわけだから距離に不安はなかったけど、唯一にして最大の不安は、福永くんが香港遠征で乗れなくなってしまったことだった。

紆余曲折を経て、鞍上はオリビエ・ペリエで行くことに決まった。
一度追い切りに跨って感触を確かめてもらったんだけど、そこで誤算が生じた。
予想以上の時計が出てしまい、追い切り後にカイ食いが落ちてしまったんだ。
彼ほどのジョッキーであっても、ボーラーの持って生まれたスピードと我の強さをコントロールすることは困難だったのだろう。

一抹の不安を抱えた状態で迎えた朝日杯FS。
やはり……というべきか、ボーラーは抑えが利かず、半マイル45秒8と明らかなオーバーペースでレースは進む。
それでもゴール寸前まで頑張ってくれたが、惜しくも差され2着。
小倉の地で5馬身差をつけたコスモサンビームに逆転を喫する悔しい結果に終わった。

「鞍上がユーイチだったら……」

こればかりは仕方のないことだが、そう思わずにはいられなかった。

 

・ダービーよりダート。ダートならボーラーはGIを獲れる

年が明け、私はボーラーの次なるステージを模索した。
ベストがマイル前後であることは当時から感じていたが、やはりクラシック戦線に目を向けないわけにはいかない。

ここでも私は、ボーラーの特性を踏まえた戦略を採った。
日々の調教を「クラシック仕様」にガラリと変えることはせず、あくまで「ボーラー仕様」の調教で鍛錬を続けた。
調教で気性や距離適性が変わる馬もなかにはいるが、ボーラーはそれだけで変わる馬じゃない。

「メニューは変えず、距離だけ変える」

その結果、弥生賞2着、皐月賞3着と2000mでもボーラーは能力の高さを示してくれた。
NHKマイルC3着後に臨んだ安田記念は初めて3着内を外してしまったけど、春4戦目で使い減りしていた影響が大きかったのだろう(弥生賞時と比べて馬体重20キロ減)。

余談だが、実はこのとき“ダービーを使おう”というプランもあった。

ダービーはホースマンにとっての夢舞台。
ボーラーにその話が出るのはまったく不思議なことではない。
私だって、使いたい気持ちはあった。

しかし、ボーラーはまだ先のある馬。
この時期に無理して2400mを使うことによる故障のリスクも考えられる。
私はボーラーに広がる無限の可能性を予見し、松本オーナーにこう告げた。

「社長、ボーラーでダービーはやめときましょう」

私には、以前から温めていたプランがあった。

「ダービーよりダート。ダートならボーラーはGIを獲れる」

 

[第3章]ダートでの快進撃 ついに開花した天性のスピード

・想像以上だった春競馬のダメージ

「ダートならボーラーはGIを獲れる」

ボーラーの父タイキシャトルは芝のみならずダート重賞も制している。
母父ストームキャットは米クラシック2冠馬タバスコキャットを輩出した。
血統的な裏付けから、間違いなくボーラーにダートは合うと感じていた。

頭の中に描いていたプランを実現すべく、3歳春シーズンの激闘を終えたボーラーは放牧に出された。
“勝負の秋”に向けて、英気を養うためだ。

しかし、ここでも誤算が生じてしまう。

春競馬のダメージが想像以上で、蓄積された疲労が簡単に回復しなかったのだ。
GIを中心に強敵相手に接戦を続けたのだから、当然といえば当然かもしれない。
加えてこの年の夏は全国的に暑く、観測史上1位の最高気温が記録されたほど。
さまざまな要因が重なったことでボーラーもストレスを感じていたのだろう。
胃潰瘍を患い、胃薬を飲ませたこともあった。

デジタルも勝った日本テレビ盃(当時は9月施行)を秋初戦に考えていたが、そのローテーションを変更せざるを得なくなってしまった。
プランに狂いがなければ、ボーラーのダート参戦はもう少し早いものになっていただろう。

 

・いよいよダートへ参戦。重要なのは“タイミング”だった

そうした経緯があり、ボーラーは秋初戦を芝のスワンSで迎えることとなった。
春に減った馬体こそプラス14キロと回復していたが、トモの張りが寂しく、中身が伴っていないように私の目には映った。

「これは良くて3着ぐらいやろうな……」

果たして、結果は見立て通りの3着。
続くマイルCSは7着、CBC賞も4着と古馬相手に厳しい競馬が続いたが、マイルCSではいったん完全に抜け出したかというシーンを作り、CBC賞はこれまでとは異なる差す形で上がり3F最速の脚。
敗戦の中にも、ボーラーの能力を改めて確認することができた。

「このタイミングしかない。次はダートを使おう」

ここで重要なのは“タイミング”だった。

競走馬のピークを過ぎてからダートに参戦したとして、期待通りの結果を出すことは容易ではない。
馬も人間と同じで、若いうちは適応力が高く、慣れる時間も早い。

ボーラーのダート適性は早くから見抜いていた。
しかし、その“タイミング”を間違えるわけにはいかなかったんだ。

 

・ダートで蘇ったボーラー 頂を目指しフェブラリーSへ

年が明けて4歳シーズン。
私は満を持して、ボーラーを中山ダート1200mのガーネットSに使った。
まったく不安がなかったわけではないが、不安以上に期待のほうが大きかったことを覚えている。

レースは前半3F33秒1のハイペースで進む。
外枠を引いたこともあり、ボーラーは砂を被ることなくすんなり先行した。
直線に入り、乱ペースに巻き込まれた先行勢が次々と脱落する中、中山の急坂を力強く駆け上がり、そのまま押し切ってみせた。
2着につけた3馬身差は1200mでは決定的と言えるものだろう。

ボーラーのダート適性を確信した私は、次走もダートの根岸Sへ。
勝つこと自体に驚きはなかったが、2着につけた7馬身差には私も驚かされた。

「私の目に狂いはなかった。ボーラーは間違いなくGIを獲れる馬だ」

デビュー当初を思い起こさせるような快進撃を見せるボーラー。
私は迷うことなく目標を2月に行われるダートGI・フェブラリーSに設定した。

 

・背負っていたプレッシャーを解放したオーナーの言葉

迎えたフェブラリーS当日。
前日から大量の雨が降り、ダートは“不良”の馬場コンディションだった。
この時期絶好調と呼べるデキにあったボーラーだが、このような馬場は未経験だ。

私は戦前、福永くんにある指示を出していた。

「後ろを警戒しながら、ゆっくり行ってくれ」

警戒していた“後ろ”の馬はアドマイヤドン。
同一GI連覇を狙うダート界の絶対王者だ。
ボーラーが簡単に止まる馬ではないことは百も承知だが、これはビッグタイトルを賭けた戦い。
用心するに越したことはない。

余談だが、アドマイヤドンの父ティンバーカントリーには馴染みがあった。
実は同馬が出走した1994年のBCジュヴェナイルを現地で見ていたんだ。
そのときダート適性の高さを肌で感じていたから、アドマイヤドンのダート転向も成功するだろうなと思っていた。

ボーラー同様、ダートで新境地を切り開いた最大のライバル……
今回はどのようなレース運びをするのか注目していると、なんとスタートでアドマイヤドンが大きく出遅れてしまった。

“しめた”と思ったが、まだ油断はできない。
ボーラーにとって最大のライバルは他ならぬ“自分”だ。
内なる自分との戦いに勝ってこそ、ボーラーはGI馬の栄誉を手にすることができる。

こちらの心配をよそに、気分よく逃げるボーラー。
後続を離す形での逃げとなったが、折り合いを欠く様子はない。
直線に入ると、鞍上のゲキに応えて後続との差を広げにかかるが、東京の長い直線はボーラーのスタミナを確実に奪っていく。

なんとか凌いでくれ――

想いが届いたのか、ボーラーは最後まで先頭を譲ることなくゴール板を駆け抜けた。
勝ち時計の1分34秒7は当時のコースレコード。
天性のスピード能力が完全に花開いた瞬間だった。

喜びがこみ上げたレースのあと、実はもうひとつ嬉しい出来事があった。

「さすがやね」

声の主は、松本オーナー。

ダービー回避を決断したときから、私は大きなプレッシャーを背負っていた。
そのプレッシャーを開放してくれたのは、オーナーのこの一言だった。

 

[第4章]思わぬ形でのアメリカ遠征中止 復活のスプリンターズS

・ボーラーに浮上したアメリカ遠征プラン

ダートという新境地を切り開き、GI馬の称号を得たボーラー。
次なる舞台として選択したのは、芝1200mの高松宮記念だった。

「今のボーラーなら芝のGIでも勝ち負けできるのでは……」

そんな期待を持って臨んだレースだったが、結果は16着。
ダートで発揮した圧倒的なスピードは鳴りを潜め、3コーナー過ぎで早々に手応えをなくしてしまう、ボーラーらしからぬレースとなってしまった。

芝1200mのスペシャリストが集う高松宮記念。
歴戦の猛者が築き上げた牙城を崩すことは簡単ではなかったのだろう。
また、終始外からピタリと張り付かれる形になったことで、ボーラーが抱える気性面の脆さも出てしまった。

実はこの頃、ボーラーにはあるプランが持ち上がっていた。

私が管理したダンスパートナーやアグネスデジタルと同じように、海外遠征を行うというプランだ。
アメリカのヴォスバーグSをステップに、BCスプリントを目指す。
高松宮記念後に出走した交流GI・かしわ記念でダート初黒星を喫した後も、プランの変更はまったく考えていなかった。

松本オーナーのゴーサインも頂き、ボーラーの“世界デビュー”が現実のものとなるはずだった。

 

・いよいよ出国の時。そこで思わぬアクシデントが……

海外遠征が決まってからというもの、慌ただしく日々が過ぎていった。

現地で入厩する厩舎は?
普段の調教はどこで行うのか?
厩務員が滞在するホテルは?

さまざまな状況を想定し、私は何度も現地に足を運んだ。
自分の思い通りに調整することができる国内競馬とは訳が違う。
ダンスパートナーやアグネスデジタルで培ってきたノウハウから、海外遠征では“事前準備の徹底”が何よりも重要だとわかっていた。

出国の時に備え、美浦の検疫に入ったボーラー。
しかし、このタイミングでまったく予想だにしないアクシデントが起こった。

その日の関東地方は、台風の影響で強風が吹き荒れていた。
サラブレッドが臆病で、繊細な性格であることはご存知かもしれないが、ボーラーも例外ではない。
強風が立てる大きな物音に驚いたボーラーは馬房を蹴ってしまい、それが原因で右寛跛行を発症してしまったのだ。

新潟にいた私はその知らせを聞くと、すぐさま美浦へと飛んだ。
チェックしたところ“使おうと思えば使えるかもしれない”という症状だったが、不安要素を抱えての海外遠征はあまりにもリスクが大きい。

「ここで無理したらダメだ。松本オーナーには申し訳ないが……」

この時すでに、BCスプリント出走に必要な登録料は支払っていた。
私の意見を聞いてくださったオーナーには申し訳ない気持ちで一杯だったが、ボーラーの将来を考え、遠征中止という苦汁の決断を下した。

 

・狂った歯車と顕在化してきたボーラーの“我の強さ”

海外遠征を取りやめ、国内で仕切り直しとなったボーラー。
しかし、一度狂った歯車はそう簡単には元に戻らない。

復帰戦の交流GI・JBCスプリントは休養期間が長く致し方ない結果(4着)だったが、続く交流GIII・兵庫ゴールドTでも勝ち切れず2着。
さらに連覇を目指したフェブラリーSの追い切りでは、角馬場で放馬するアクシデントにも見舞われ15着と大敗を喫した。
この頃からボーラーが持つ“我の強さ”が悪い方向に顕在化してきたように思う。

また、GI馬となったボーラーは59キロの斤量を背負う機会が増えた。
同じ2キロ差であっても、53キロと55キロでの2キロ差と57キロと59キロでの2キロ差とでは訳が違う。
特に主戦を務めた福永くんは体重が軽いから(51キロ)、その分だけ多くの重りを乗せて走らなきゃいけないからね。

“強者の宿命”とも言える負担重量に、コントロールが難しくなってきた気性面。
2つの大きな要因はボーラーを成績下降へ向かわせることとなる。
成績不振に伴い、周囲からは「もう終わったのでは……」という声も囁かれていたが、私は決して諦めていなかった。

「ボーラーは世界で戦えるレベルの馬なんだ。まだ終わってなんかいない」

来たるべき復活の時を信じ、私は“強いボーラー”を取り戻してみせると誓った。

 

・復活のスプリンターズS 見据える先は世界の舞台

復活の兆しが窺えたのは、真夏の佐賀で行われたサマーチャンピオン。
同じ松本オーナーの所有馬・メイショウバトラーからアタマ差の2着に好走。
ボーラーが本来の姿を取り戻しつつあることを実感したレースだった。

その後、セントウルSをステップに矛先を芝GI・スプリンターズSへと向けた。
当時、坂路でビシッと追えていたことありデキはさらに上昇。
ボーラーの上昇度に合わせるかのように、私の気持ちも自然と上向いていたことを覚えている。

「やれることはやった。あとはボーラーの気持ち次第やな」

秋のスプリント王を決定するゲートが開いた。
好スタートを決めたボーラーは、熾烈な逃げ争いを尻目に好位から虎視眈々と機を窺う。
直線を向き、オーストラリアのテイクオーバーターゲットが逃げ切り態勢に入るなか、福永くんの懸命のムチに応え、ボーラーがインから脚を伸ばしてきた。
ボーラーは、まだ終わってなんかいなかった。

2着に入ったレースを終えたあと、私の脳裏には1年前の記憶が蘇っていた。
直前のアクシデントにより叶わなかった海外遠征。
“自分との戦い”に打ち勝つことができれば、ボーラーは世界でも通用するはず。

今度こそ、ボーラーを世界の舞台へ――

沸々と湧き上がる気持ちを胸に、私は視線の先を香港へと移した。

 

[最終章]ボーラーが私に教えてくれたこと

・香港で起きた“競走拒否” ボーラーから感じ取ったある兆候

5年前、デジタルが歓喜の瞬間をもたらした香港・シャティン。
私にとって思い出深い地にボーラーは降り立った。

当時と変わらぬ、海外競馬独特の心地よい雰囲気。
初の海外遠征となったボーラーはパニックに陥ることもなく、現地での調教も至って順調だった。
あとはレースに行ってどうなるか……

妙な胸騒ぎを覚えつつ、レースの時を迎えた。
ゲートが開き、ボーラーの位置取りを確認しようとしたが、ボーラーの姿を視界に捉えることができなかった。

スタートで大きく出遅れたボーラーは、レースをやめてしまっていたのだ。

異国の地で出てしまった、気性面での不安。
ボーラーのスピードは世界の舞台でも通用すると信じていただけに、当然のことながら落胆は大きかった。

しかし、それと同時に不思議な気持ちが私の心を支配した。

「やっぱりか……」

遡れば、ボーラーは2着に入ったスプリンターズSでもゲート入りを嫌っていた。

「走ることに対して嫌気が差しているのでは……」

そんな兆候を私はボーラーから感じ取っていたのだ。

 

・以前とは変わってしまったボーラー 訪れる別れの時

失意の帰国となったボーラーを待ち受けていたのは、ゲート再審査。
この関門をクリアしないことにはレースに出走することすら叶わない。
ゲート練習を積んできたので大丈夫だろうという自信はあったが、こればかりはボーラーに聞かないとわからないことだ。

福永くんがフェニックス賞5連覇の偉業を達成した当日、ボーラーの調教再審査は行われた。
これをこちらが拍子抜けするほどスムーズにクリアし、最大目標を昨年2着のスプリンターズSに定めた。

しかし、この頃ボーラーは明らかに以前とは変わってしまっていた。
スプリンターズSでの馬体重は香港当時と比較してマイナス20キロ。
カイバを食べても身にならないような状態だった。

それでもレースになれば“走るスイッチ”が入るのでは……
と僅かな望みを託したが、結果は15着。
他馬を寄せ付けないスピードは見る影もなかった。

「もうここまでかもしれんな。本当によく頑張った」

稀代のスピードを誇った“個性派”の引退が決まった。

 

・私が考える“種牡馬メイショウボーラー”にベストマッチな繁殖牝馬

現在、ボーラーは種牡馬として第二の馬生を過ごしている。

ボーラーの種付け頭数は毎年100頭以上。
安定した人気は馬産地から受ける高い評価の証と言えるだろう。
ニシケンモノノフや芝・ダートで計5勝を挙げたモグモグパクパクなど、自身の特徴が垣間見える産駒も続々と登場している。

とはいえ、ボーラーのポテンシャルを考えると正直物足りない印象は否めない。

私が考える“種牡馬メイショウボーラー”最大のセールスポイントはスピードだ。
この特性を活かしつつ、距離に融通が利くおとなしいタイプの繁殖牝馬が合うと思っている。
ボーラーの持つ“うるさい部分”はどうしても受け継がれやすいからね。

また、血統表内にサンデーサイレンスの血が入っていないことを踏まえると、サンデーサイレンス系の繁殖牝馬を付けるのも面白いかもしれない。
掛け合わせを工夫することでニックスが生まれる可能性はあるんじゃないかな。

 

・ボーラーから教えてもらった“長所を伸ばす重要性”

改めて振り返ると、ボーラーのようなタイプに巡り会えたことは大きな意味があった。

さまざまな条件で活躍したオールラウンダーぶりはデジタルを彷彿とさせたが、この2頭は戦績こそ似通う部分があれど、互いの性格はまったく異なる。

デジタルは、どんな場面でもドッシリ構えるポーカーフェイス。
ボーラーは、有り余るスピードをコントロールし切れないほどにガムシャラ。

競走馬として、どちらが良いとか悪いとかではない。
私はボーラーの性格を“ボーラーにしかない唯一無二の個性”と捉え、生まれ持った天賦のスピードをレースで生かす方法を模索した。
“長所を伸ばす重要性”は、私がボーラーから教えてもらったことだ。

ボーラーを超える馬が、ボーラーの仔から出てくること――

今後、私が望むその未来が実現することを願っている。

(※2016年8月執筆)
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