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【白井寿昭】アーモンドアイの母、フサイチパンドラの真実

この記事を書いた人

広島県出身。厩務員、調教助手を経て1978年に調教師免許を取得した。相馬眼で『白井最強伝説』として広く親しまれている。通算795勝(中央775勝、地方・海外20勝、重賞42勝)

[第1章]名物オーナーとの出会い

馬は自分の目と足で見つけてくるもの──。
これは私の信念でもあり、調教師・白井寿昭を支えてきたものだと考えている。

スペシャルウィーク、アグネスデジタルにメイショウボーラー。
GIを勝ったこれらの名馬たちは、実際に牧場を巡り、この目と知識で探し当てた馬だ。
GI馬だけではない。
私の厩舎にいた管理馬の多くは、私が見つけ、私がオーナーに頼み、購入してもらった馬ばかりだった。

しかし、2006年のエリザベス女王杯を勝ったフサイチパンドラは違う。
彼女は管理した馬の中では異色の存在。
私が牧場を巡り、探して出してきた馬ではなかったのだ。

 

・出会いの場は京都

多くの人の思いが重なり、1頭の馬を走らせるのが競馬。
長い調教師生活で、私も多くの方と知り合うことができた。
これは現在も私の財産。

だが、この世界は広いようで狭い。
人の噂話を鵜呑みにするタイプでない私のような人間でも、他人の評判が嫌でも耳に入ってくる。

「高額な馬を買いまくる日本人」として、アメリカでも話題の人物。
“フサイチ”の冠で知られる関口房朗さんの振る舞いが、あまりにも派手なことは、認識のない私でもそれなりに知っていた。

2000年のケンタッキーダービーを制したフサイチペガサスは、キーンランドのセリで400万ドル(当時のレートで5億6000円)もした超が付く高額馬。
それほどの金額をポンポンと使う人だ。
「おそらくは気難しい人なのだろうな」という先入観を持っていたことは、正直に告白しておきたい。
テレビに登場していた関口さんの姿を、私はそのまま受け入れていた。

旧知だった新聞記者の方に紹介され、京都で食事をすることに。
派手な見た目で、自己を強く主張してくるイメージがあったのだが、実際にお会いした関口さんは、そんな人物ではなかった。
調教師の仕事をリスペクトし、私に注文を付けてくることはまずない。
意外に感じるかもしれないが、関口さんは“金は出すけど、口は出さない”という理想的なオーナーだった。

それだけに短い付き合いしかできなかったのが、本当に残念。
もう少し早く知り合うことができていれば、弱肉強食の側面が強い競馬界の世渡りの仕方を、アドバイスをすることもできただろうに…。
そんな思いが現在も私の中にある。

 

・傑出した牝馬

後日、私はノーザンファームで4頭の若馬を見た。
関口さんに「実は先生に預かってもらいたい、と考えている馬を何頭か買っているんです。好きなのを選んでもらえませんか」と言われていたからだ。

すべてがサンデーサイレンスの良血馬。
そのうちの3頭が牡馬だった。
普通の調教師なら、ダービーの夢が見れる牡馬を選ぶだろう。
実際、私も同じレベルの馬ならば、迷うことなく牡馬を選択する。
しかし、私は牝馬を選んだ。

牡馬に負けない雄大な馬体に惹かれたのもある。
だが、1番の決め手になったのは、その血統背景。
彼女の祖母はセックスアピール(Sex Appeal)という名繁殖牝馬。
欧州の年度代表馬になったエルグランセニョール(El Gran Senor)がこの血統から出ていた。
この馬自身もセレクトセールで8700万円もした高額馬だが、この馬の2つ上の全兄は1億9000万円。
購入したのはジョン・ファーガソン。
ドバイのシェイク・モハメド殿下のアドバイザーを務める人物だ。
世界が認めるこの血統に対し、純粋な興味があった。

言うまでもなく、私が選択した牝馬が、のちのフサイチパンドラだ。
彼女のことを「私が探してきた馬ではない」と言ったが、実際の最終決断は私がしている。

頼まれた馬をただ管理するだけという作業は、私にとって苦痛でしかない。
私はもっと深い位置から馬と関わっていたいのだ。
この頑なな面が私の長所でもあり、短所でもあるわけだが…。

余談だが、私が選択しなかったサンデーサイレンスの牡馬3頭は、どれも活躍できなかった。
「ここがダメ」と言い切れる要素があったわけではない。
しかし、パンドラに優る部分が彼らにはなかった。

競走馬の選別とは、それほどまでにシビアなものなのだ。

 

[第2章]競走馬には適性がある

・1800mでデビューした理由

2005年の11月12日。
私はフサイチパンドラのデビュー戦に、京都の芝1800mを選んだ。

順調に成長した彼女は、調教でもしっかりとした動きを見せる。
「まず勝てるだろう」
自信を持って送り出したのだが、2着に6馬身の差をつける圧勝を演じてくれるとまでは、思っていなかった。
予想を超える彼女のパフォーマンスに「さすがは血統馬だな」と感心したのを覚えている。

新馬戦を圧勝したフサイチパンドラは、2歳女王決定戦の阪神JFに駒を進める。
ひと叩きして馬体は良化。
それなりに自信はあった。
だが、残念ながら彼女の枠が外過ぎた。

当時の阪神競馬場は現在と違い、外枠が圧倒的な不利になるコース形態。
それに加えて彼女の適性──フサイチパンドラは、直線だけですべてをひっくり返せるような、強烈な瞬発力を持ったタイプではなかった。

彼女は切れるというよりも、ジワジワと伸びるタイプ。
道中のポジションが大事になってくる馬だったのだ。
8枠16番からのスタートで、4角の通過順は12番手。
この位置からの3着なら、健闘した部類だと現在でも考えている。

その後のレースを見てもらえれば、私の言っていることがわかってもらえると思う。
例えば、いい位置を取れたように思えた4戦目のエルフィンS。
直線を向いた段階で、前を射程圏に入れたように思えたのに、軽い芝の京都のマイル戦だったことがこたえたのか、完全に切れ負けしてしまう。

次のきんせんか賞の距離はマイル。
だが、これはフサイチパンドラの個性をそれなりに掴み、4角先頭の積極策をしたおかげだ。
彼女は自分から動いていく競馬が合っている。

それを確信したのが、2着に負けたフラワーCだ。
このレースを勝ったのは桜花賞を勝つキストゥへヴン。
決め手負けした格好だったが、それでも距離が延びれば……の気持ちを、私は持った。

 

・フサイチパンドラの本質とは?

桜花賞は消化不良の競馬だった。
折り合いを欠き、直線は抵抗も出来ずに負けた。
2番人気に支持してもらっての14着。
もちろん、悔しかったが、思い出してほしい。
私が彼女のデビュー戦に1800mを選んでいるということを。

マイルの馬ではないという意識を、デビューする前から持っていた。
しかし、能力が高いのでソコソコは走ってしまう。
期待も大きいので、どうしても大舞台に合わせたくなってしまう。
その結果が、桜花賞までの煮え切らない成績になってしまったのだ。

2400mのオークスなら違う。
そんな気持ちを戦前から持っていた。
マイルで切れる馬に対しても、この距離なら押さえ込める。
パンドラが前に行って、自慢のスタミナを生かせる競馬になれば…。

このレースから手綱を取った福永祐一騎手が、上手に乗ってくれたこともあるが、2着という結果に「やっぱりな」と。
秋に期待を繋げるレース。
フサイチパンドラの能力を再確認したレースがオークスだった。

秋はローズSから始動。
このレースは前哨戦らしいレースになったローズSは離された3着。
タイトな競馬になった本番の秋華賞は差のない3着。
心肺能力の高さを問われるGIの舞台が、この馬には合う。
私はそう痛感した。

 

・繰り上がり優勝の裏側

2006年エリザベス女王杯は、彼女にとって唯一のGIタイトル。
それが1位入線馬の降着による繰り上がり勝利なのだから、ファンの方々は、そこまで鮮明な記憶をお持ちでないかもしれない。
しかし、私はこの勝利を勝つべくして勝ったレースと思っている。

誰もが勝ちたいと思ってレースに挑んでいる。
だが、それでも守るべきルールがある。

4コーナーでヤマニンシュクルの四位洋文騎手が、落馬寸前の不利。
加害馬は1位入線のカワカミプリンセスだった。
検量室に戻ってきた四位騎手が、私を見つけてこう言う。
「先生のところの勝ちやわ」と。
「なんでや?」と聞く私に「俺、ひっくり返りそうになったもん。あれ以上やられたら、おそらく落ちているよ」と答えた。
パトロールで映像を確認。
誰もが降着と認める騎乗だった。

後味の悪い結果にはなったが、フサイチパンドラがGIのタイトルにふさわしい馬でなかったかといえば、そうではない。
3着のスイープトウショウを筆頭に、重賞をいくつも勝った馬たちを、彼女はしっかりと負かしている。
しかも、レースは差し馬向きの流れでもあったのだ。

好位から粘り通した彼女の頑張り。私はそれを高く評価している。

 

[最終章]サンデーサイレンスとの深い関わり

・種牡馬サンデーサイレンスの存在を改めて考える

サンデーサイレンスが日本に導入される──。
その話を耳にした日も、現在では遠い昔のことになった。

サンデーサイレンスは数多くの名馬を輩出し、日本の生産界を文字通り塗り替えた。
その子供たちの血を通じ、現在は世界を席巻する一歩手前まで来ているのだから、本当に感慨深い。

日本で飽和状態になったサンデーの血が、世界へと出て行くのも時代の流れ。
私は常に“競走馬の血には流れがある”と言い続けているが、成功を先につかむためには日本だけでなく、世界の“流れ”も見ておく必要がある。
経済の原理と同じだ。

現在の日本はサンデーに合う血を求めている。
一方で、世界はサンデーの血を求めている。
この流れを理解し、ワールドワイドに競馬を見ることで、あまりにも深い競走馬の世界を、より一層楽しむことができるのではないか?
それをファンの方には、ぜひ知ってほしい。

私のGI初勝利はダンスパートナー。
言うまでもなく、サンデーサイレンスの初年度産駒だ。

では、私の最後のGI勝ち馬は?
それもサンデーサイレンス産駒が飾ってくれた。
しかも、フサイチパンドラは彼の最後の世代の産駒。

サンデーで始まり、サンデーで締めた──。
それが私のGI戦績。
彼の現役時代の走りをこの目で見て、種牡馬としての成功を確信した。
そのサンデーと深い関わりを持てる成績を残せたことを、私は誇りに思っている。

 

・太め残りに泣いた4歳時代

エリザベス女王杯以降の話をしておこう。

翌年も現役を続行したフサイチパンドラの勝ち鞍は夏の札幌記念のみ。
正直に言えば、このレースの勝利は騎乗した藤田伸二騎手が上手に乗ってくれたおかげ。
担当の厩務員が飼い葉を与えるのが好きなタイプということもあるが、古馬になって以降のフサイチパンドラは、常に太めの状態で走っていた。
実際、私は「食わせたらいいというものじゃないぞ」と言っていたのだが、それでも絞れなかった。

太めの状態で調教するのは危ない。
能力はあるが、それを発揮できる状況にない。
リズムが狂うと走れないジリッぽい脚質というのもあった。
エリザベス女王杯では2着と好走してくれたが、彼女の潜在能力のすべてを発揮しきれたかどうかとなると、どうだろうか。
馬体がもう少し絞れた状態であったならば、もう少し走れたかもしれないという気持ちが少なからずある。

エリザベス女王杯のあとは、有馬記念に出走する予定だった。
だが、左寛跛行で出走取消。
トモを痛がっていたような記憶がある。
消化不良のような結末になってしまったが、体力のあるうちに引退させるということは、秋競馬が始まる頃から決まっていたこと。
繁殖牝馬としての活躍を期待され、彼女は牧場へと戻っていった。

 

・ダンスとパンドラの違い

豊富なスピードを持ち、柔らかい動きをするのがサンデーサイレンスの特徴。
実際、ダンスパートナーやスペシャルウィークは、そんなサンデーらしい長所を持っていた。

しかし、フサイチパンドラは違う。
イメージはサンデーよりも母父のヌレイエフ。
スピードもそれなりにあったのだが、しなやかさが少し足りなかった。
それが芝のマイル戦で切れ負けしていた理由ではないだろうか。

だが、これも仕方のないことだった。
牝馬でこれだけの馬格があるサンデー産駒は珍しい。
私もサンデーの血ではなく、エルグランセニョール(El Gran Senor)を輩出した母系に興味を抱いて預かった馬なのだから。

私はサンデーサイレンスの初年度産駒と最終年度の産駒でGIを勝った。
その2頭のタイプがまるで似ていないというのが、これまた不思議なところなのだ。

だからこそ、連載の最初に私が話したことを思い出してほしい。
生まれる前から関心を寄せていたダンスパートナーに対し、フサイチパンドラはわずか4頭の中から選択した馬。
結局は自分が探してきた馬ではないというところに、すべては起因するのではないだろうか。

(2016年10月執筆)
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