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喜び・感動

【血統の1号】「オレの競馬熱は、ここから更に熱くなっていった」

この記事を書いた人

中央競馬で多数の馬を走らせている現役馬主。多くの馬をセールで購入している他、自己所有の繁殖牝馬の配合も全て自分で考えるほどの血統マニアでもある。その血統理論が馬券にも活かされていることは言うまでもない。

※このコラムは読者の方から頂いた質問に答えた内容です。

【質問内容】
「はじめまして。私はかわいくて強いダイワスカーレットが大好きだったのですが、カリスマの皆さまが一番好きな馬を知りたいです!」

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「一番好きな馬」

と聞かれて、困った。

好きな馬なんて、星の数ほどいるし、「好き」であることに順番をつけるなんて、それこそあまり好きではない。
「一番」が難しい。
好きな馬をつらつら喋るのだったら、一晩くらいかかるかもしれないが、出来そうだ。

どうしようかな・・・。

ならば、オレを競馬の世界に引き込んだ「一番」の功労者である馬を挙げようかな。
それは・・・・

カツラギエース!

オレが、競馬場に初めて足を運んだのは、ミスターシービーが勝ったダービーの日だった。東京競馬場の熱気と喧噪に驚かされ、競走馬という生き物の美しさと逞しさに圧倒されたのだった。

そのダービーの日、カツラギエースの事は、まったく目にもかけなかった。
皆が讃えるミスターシービーの凄い脚に、オレも熱狂していた。

以来オレは、競馬場にたびたび足を運び、訳も分からぬまま馬券を買い続け、負け続けたのだった。
寺山修司さんが書いていた競馬関連の書籍を読みまくり、さらに競馬にのめり込むことになった。

逃げ馬が好きな寺山さんに影響され、オレも逃げ馬が好きになった。
もう少しだ、頑張れ、力を振り絞れ!そう言い聞かせ、ライバル達が追い詰めてくる足音におびえながらゴールを目指す逃げ馬。

オレが心から逃げ馬好きになったきっかけが、カツラギエースのジャパンカップだった。

スターのオーラもなく、単なるオープン馬だったカツラギエース。
同期の三冠馬ミスターシービーにいつも敗れ、G1は勝てない馬というレッテルを貼られていた。

ところが、
古馬になった翌年、シービー不在の宝塚記念を勝ち、少しずつ注目されはじめていた。そして迎えた第4回ジャパンカップ、世界の強豪たちを相手に、カツラギエースは、突然、逃げたのだった。
当時ジャパンカップは創設されたばかりで、世界と日本の実力差を思い知る屈辱のレースだった。
逃げるカツラギエースの後ろには、世界の強豪たちに加え、日本を代表する三冠馬2頭、ミスターシービーと、シンボリルドルフが、虎視眈々、抜き去るタイミングをじっと待っていた。

この時、オレは、競馬場にいた。
そして、カツラギエースが、果敢に逃げたのを見て、驚いた。
と同時に、どこまで頑張れるか、喉がつぶれるくらい声をあげて応援していた。
彼は、10番人気だった。

その時、寺山さんのあのフレーズを想い出した。

「振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない。」
さらばハイセイコーの歌詞の一節だ。

一目散にゴールに向かって力を振り絞るカツラギエースの走りを見ていて、何だか泣きそうになった。

気づいた時、彼は、一着でゴール板を駆け抜けていた。

一度も勝てなかったミスターシービーを遥か後ろに置き去りにして。
皇帝シンボリルドルフの末脚も彼を捕まえられなかった。
そして何より、日本の馬が世界の強豪たちを倒した初めてのシーンとなった。

この時、オレは、知ったのだ。

ああ、これが競馬なんだ、と。
この面白さが、競馬なんだ、と。

カツラギエースが大好きになったオレは、続く有馬記念、大勝負に出たのをよく憶えている。
シンボリルドルフとの1点をしこたま買った。
絶対に当たると思い、とんでもない額を買った。

枠連550円。

この日、オレは、馬券の事も少し分かったような気がしたのだった。

大好きなカツラギエースは、この有馬記念で引退し種牡馬となった。

が、彼によってオレの競馬熱は、ここから更に熱くなっていったのだった。

(2017年3月執筆)
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